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忍耐力を培う!

おはようございます。

 

月曜日担当の尾崎です。

 

前回、

私のトラウマである、

女性とのコミュニケーションへの

苦手意識について、

お恥ずかしいエピソードを

書かせていただきました。

 

メルマガ読者の方から、

予期せぬご質問をいただきました。

 

そのトラウマを抱えた私が、

6年間アプローチして、

妻と結婚できたのは、

なぜ?何をしたんですか?

とご質問いただきました。

 

本日は、

このニーズにお答えしたいと思います。

 

独身時代の20代を、

私は神戸で過ごしました。

 

初めて、彼女(妻)と出会ったのは、

私が25歳で、彼女が22歳でした。

 

同じ企業グループに所属し、

グループの全国規模の集まりで出会いました。

 

私は、彼女に心惹かれるものがありました。

 

彼女は、

親会社の本社(丸の内)に勤務し、

東京生まれの東京育ちでした。

 

私は、神戸に住みながら、

実家は横浜にありました。

 

彼女からすれば、

まったくの対象の外にいた私でした。

 

初めて、デートしたときに、

自分のことよりも、彼女の話を沢山聴きました。

 

その日の最後に、彼女がポツリと言いました。

『私と話して、楽しいですか?』

 

この妻の言葉に、

私はますます彼女のことが

気になるようになりました。

 

彼女の心に光を灯す存在になりたい!と

心の底から思いました。

 

私はこの時に、兎に角、

彼女にとって大切な友人になりたいと思いました。

 

神戸と東京、遠距離恋愛(現実には、遠距離親交)が、

この一言から始まりました。

 

電話は、一日おきにかけました。

 

今から、34年前のことでしたから、

もちろん携帯電話などまだまだありませんでした。

 

夕方になると、

神戸の公衆電話から、

彼女の自宅に電話をかけるのです。

 

彼女は貿易の部署の営業事務をやっていたので、

残業が多いポジションでした。

 

折角、電話をしても、

電話口に出るのは、

彼女のお母さんとか、

お父さんが多いときもありました。

 

お母さんは、

まだ良かったですが、

お父さんが出ると結構辛かったです。

 

低い声で、

『どちら様で、娘に何の御用でしょうか?』

とか言われました。

 

『はい。特別な用事ではないのですが、

シドロモドロ¨(大汗)』

みたいなやりとりでした。

 

お母さんが出ると、

 

『いつもご苦労様です! 熱心ですね!』

などと言われていました。

 

公衆電話と黒電話の昭和の頃です。

 

まずは、彼女の親友になろう!と決めて、

何ヶ月も何年も、

時間ばかりが経過していきました。

 

今、思えば、あの粘り強さ、あの忍耐力は、

私の何処にあって、何処から出て来たのだろうか?

 

自分を超えた、

何かが、湧き出ていたのかもしれません。

 

そう言えば、今、

メルマガを書きながら思い出しました。

 

真珠の仕入業務でも、

最初は養殖業者(生産者)に会いに行っても、

全く相手にされませんでした。

 

それを、夜討ち朝駆けで訪問して、

だんだんと心を開いていただき、

やがて、丹精込めて養殖した

真珠を仕入させてもらう。

 

サンタ営業では、

接触頻度は関係なく、

初対面でお客様に心を

開いていただくことをやっていますが、

この頃は、まだサンタ営業の存在も知らずに、

ひたすら接触頻度を重ねていました。

 

私は、受け入れてくれない相手に、

じっくりと心を開いてくれるプロセス自体が

とても快感を感じる性格のようです。

 

長くなりましたので、

続きはまた来週書かせていただきます。

 

 

 

 

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