· 

目に見えるもの、見えないもの

いつもありがとうございます。

YSコンサルタント佐藤鮎子です。

 

本日もどうぞ

よろしくお願いいたします。

 

先日、息子(4歳)が夜寝る前に、

「じいじ、ばあばが死んで、

パパもママも死んだら誰もいなくなって

僕は一人ぼっちになって悲しくなる」

と言っていました。

 

私は自身が幼い頃、

夜中にパッと目が覚めて

隣で寝ている両親や兄が

死んでしまったらと思うと

孤独感に包まれ、

涙を流していたことが

何回もあったことを思い出しました。

 

私は

「死んでも大丈よ。

仙台ばあば(義母、10年前に他界)も死んで

体はないけど、いつもしゅんちゃん(息子)を

見守ってくれているやろ。

 

仙台ばあばも神様で、

しゅんちゃんも神様。

 

神様は何にだってなれるから大丈夫。

いろんな形になってるんだよ。

食べ物も水も全部神様」

 

息子が「おならも?」と聞くので、

私は「そう、おならも神様」と答えると、

息子はゲラゲラと笑っていました。

 

私の言ったことが

正しいとか正しくないとか

正解とか不正解とか

それは正直よくわかりません。

 

ただ、私は死んだら終わりではなく、

全てはつながっていること、

目に見えるものだけが全てではないこと、

そんなことを伝えたかっただけです。

 

それと同時に、

もしいま、両親や夫、息子、

あるいは自分自身が死ぬとしたら、

まだまだやり残したことは

たくさんあると思いました。

 

だったら、1日1日を無駄にせず、

生き抜いていきたいとも思いました。

 

息子との会話のお陰で、

私はそんなことを思っていたのかと

確認出来た出来事でした。

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。