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父、お祖父ちゃん、ご先祖様、守護神軍団(その2)

月曜日担当の尾崎です。

 

前回は、私のバックグラウンドである

父やお祖父ちゃん、先祖、郷里

について、書かせていただきました。

 

人間は記憶で出来ている。(佐藤康行)

 

父・母・先祖は、

私の遺伝子の記憶にあたります。

 

父について、もう少し続けさせていただきます。

 

終戦後、一旦は三重に戻った父でした。

 

そこで、同い年で新任の教員をしていた

母と出会い、大恋愛をして結婚したそうです。

 

赤ちゃんが一人(長女)が生まれた時に、

当時ブームになっていた真珠の輸出貿易の商店に

就職するため、単身、東京に上京したそうです。

 

昭和26年頃から、

日本にしかなかった養殖真珠が

世界中から引っ張りだこになりました。

 

父は、僅か2年で、

仕事の急所をとらえて、

独立起業しました。

 

郷里から、

母と赤ちゃんだった姉を呼び寄せて、

東京での生活が始まりました。

 

戦後復興の時流と真珠ブームにのり、

またたくまに、事業を成長させたそうです。

 

この頃は、兎に角、

欧米先進国の真珠への需要に

供給が追いつかなかったようです。

 

ですので、養殖真珠発祥の三重から、

四国や九州、福井県、それから静岡まで、

どんどん真珠養殖をする地域が

増えていきました。

 

10数年続いた養殖真珠ブームも、

昭和39年の東京オリンピックが

終わると供に、終焉をつげました。

 

養殖すれば売れたので、

供給に対して、生産過剰になり、

真珠の価格が大暴落しました。

 

父は、この頃は、英虞湾と静岡で、

真珠の養殖場も経営していました。

 

時流の流れには逆らえず、

父も会社を存続することが出来なくなりました。

 

この時の私は、小学1年生の夏休みでした。

 

夏休み中、

三重の養殖場に預けられていた私が、

夏休みの終りに叔父さんに連れられて、

東京に戻りました。

 

住み慣れた家ではないところに案内されて、

飼っていた犬がいなくなり、

新しい小学校に転校することになりました。

 

たくさんいた従業員の人は、

ほとんどいなくなりました。

 

子供の私には、何が起きているか?

サッパリ判りませんでした。

 

大きく変わったことは、

昼は仕事、夜は接待、日曜日はゴルフで、

ほとんど家にいなかった父が

いつも家にいるようになりました。

 

時折、昼間からお酒を飲んで、

苦悩している父の姿がありました。

 

そんな父の姿を見るのが、

子供ながらとても辛かったでした。

 

元気で、溌剌とした父の姿を、

ただただ見たいと願っていました。

 

小学1年だった私は、何もわからずに、

新しい環境にもなじめずに、

いつも不安でいっぱいでした。

 

そんな中、母は何事もなかったように、

いつも私には笑顔で接してくれました。  

 

(つづく)

 

 

 

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